日経電子版にまつわる
データと組織の話(前編)

一朝一夕ではなかった組織が強く変わるまで
山内秀樹氏
日本経済新聞社が2010年3月に創刊した「日経電子版」。有料会員は現在60万人を超え、国内新聞メディアのトップを走る。膨大な会員データをデジタルマーケティングに有効活用する巧みな戦略からは、日経のデータドリブンな組織像がうかがえるが、そこへ至るには様々な紆余曲折・試行錯誤があったという。電子版データ戦略の中心人物の一人、山内秀樹氏にその道のりを振り返ってもらった。
 

【略歴】

山内さんと当社との仕事上のお付き合いはいつ頃からですか。
 2010年9月頃からです。日経電子版の会員基盤である日経IDが当初は30万人ぐらいでスタートしたのですが、日経本社は大量の会員データを扱った経験がなく、知見を持った人材もいませんでした。データ分析やデータを使ったマーケティングを進める上で、まず日経リサーチに分析をお願いし、日経グループの総力を挙げてマーケティングに取り組めないかと考えました。
当時、山内さんの周囲はどんな様子だったのでしょうか。
 大量のデータがあることへの期待感は高く、こういうことがやりたい、こういう数字はないのかといった要望がどんどん集まってきて、お祭り騒ぎのようでした。最初はレポートを毎日作って、興味を持って読まれていたのですが、そのうち情報があふれて消化しきれない状態になってしまいました。レポートでは色々な切り口でデータを出しましたが、具体的な施策などにはなかなかつながりませんでした。いま思うと、とにかくひたすらデータを見れば何とかなるんじゃないかという気持ちが強かった。あの時はデータにおぼれていました。データが勝手に語ってくれると思ったのが失敗でした。
そういう状況が変わったのはどうしてですか。
日経ID会員数推移 電子版が軌道に乗り、会員数が増えていくなかで、試行錯誤が少しずつ実を結びました。日経IDが色々なビジネスに使えるようになり、広告商品やターゲティングの商材も出てきて、マーケティングのデータ活用やセグメンテーションなど、具体的なマネタイズが進み出しました。ただ、編集活動など自分たちの価値向上にどうやってデータを使えばいいのかはその後もずっと試行錯誤が続きました。誰が解約しやすいのか予測するモデルも作りましたが、データから解約しやすい人が分かっても、解約目前の読者を引き止めるのは簡単ではありません。読者がどういう過程を経て継続したり解約したりするのかをストーリーとして理解し、もっと前から関係を見直さないと改善につながらない。今から考えると、幼かったと思います。読まれた記事からどれだけ登録されたかも分析しましたが、それだけでは点を理解しているだけなので、その後の継続につながるわけではない。そういうことにちゃんと気付けたときから、データの見方も変わってきました。どこの会社も最初はこういう試行錯誤の過程があるのではないでしょうか。
試行錯誤を経てからは順調に進みましたか。
 データを全体で意識するまでの道のりは長かったです。電子版や日経IDの会員数は順調に伸びてきたのですが、解約も徐々に増えてきました。データ活用も奏功して、解約率を低く抑えることはできたのですが、会員数が増えるほど、解約率が同じでも解約数はどんどん増えていきます。この頃から、ストーリーに即して、データをちゃんと見なければいけないという意識が高まってきました。意識が大きく変わってきたのはここ1、2年です。
何かきっかけがあったのでしょうか。
 紙による新聞ビジネスが厳しくなってきた欧米メディアは、デジタルに軸足を移す動きで先行していましたが、その際、新しいビジネスモデルの構築にあたって一番大事にしたのが「読者」でした。デジタルではデータで読者を詳しく捉えることができるので、これを活用して読者に価値を感じてもらえるかどうかを最重視する「オーディエンスエンゲージメント」という考え方が主流になってきました。継続してもらうには読者とのエンゲージメントを高める必要があり、日々の接点をどう作るかが重要で、エンゲージメントが上がれば自分たちのメディアとしての価値も上がるし、読者の幸福や利益にもつながるという考え方です。読者とのかかわり度合いを常に考え、どういうシナリオでかかわりを増やすかを意識してビジネスを組み立て、それに合わせてデータも見ないといけない。Financial Timesなど読者とのエンゲージメントを大事にする新聞社が成功し始めていました。この事例はすごく大きかったです。
それからどういったことに取り組まれたのですか。
 まず日経社内でもこれに習って、読者はどういう人たちかを考えるようになりました。電子版に毎日来て、たくさん読んでくれる読者ほど解約率が低く、長く継続することが分かったので、これをもとにしたエンゲージメント指標を日経リサーチと共同で開発しました。読者の訪問頻度(Frequency)とコンテンツ閲覧数(Volume)を高めることが重要であることをデータで示した指標で、頭文字をとって「FV」と呼んだりしています。分かりやすい指標ですので、編集者、エンジニア、マーケティングなどでそれぞれの役割は異なっていても、同じ目線で議論できるようになりました。例えば、SNSのように読者との接点となってそこから集客できる新たなコンテンツも必要で、それはFVに跳ね返ってきます。いきなり売り上げだけを上げることを考えるのでなく、自分たちの価値の源泉を捉えて、エンゲージメント指標を上げれば、定着や継続につながり、結果的に売り上げも上がるという風にシフトしていった。
データに対する見方・考え方が変わり、組織も変わってきたわけですね。
 電子版がこの先どういう方向に進むべきかというときに、読者が何を求めているのか、何を必要としているのか判断する術(すべ)として、また社内で議論する材料として定量的な数字を重視する機運が社内で高まって来たのが大きかったですね。数字で読者の気持ちを代弁すれば、どんな立場の人にも理解が得られやすい。数字で理解する意識で組織は強くなると思います。
ここまでの成果をどのように評価していますか。
 今はエンゲージメントという共通の目標があり、全員がその数字を上げることに意義を感じているので、モチベーションを高く保ち、同じ目線に立っていろいろな取り組みができています。これは大きいです。もうひとつは、データを身近にする取り組みも同時に進めていて、このデータのセルフサービス化を促したことも大きかったです。以前はレポートをただ見ればよいという他人事のような感覚でしたが、数字を自分事として見ながら、日々の改善にいかすという進化が必要でした。全員がデータに触れる文化を作り、ツールを配備して、データの見方や使い方を理解するための研修をやった。その結果、デジタル事業に関わる人たちが自律的にデータ分析をやり、それに基づいたPDCAサイクルを現場で回せるようになりました。10年ぐらいかけてやってきたデータの蓄積が、やっとビジネスの細部にも浸透しつつあります。
最後にこれから先の展望についてお聞かせください。
 ここまで来たのは一朝一夕ではないし、長い道のりのまだ途中です。仕事の進め方や文化を変えるのは本当に大変なことですが、ニュースを編集する現場でもデータ活用が進み始めました。今後はデータの使途がどんどん増えて、データを扱える人間が現場に増えてくるのは間違いないと思っています。データの専門人材もさらに増え、日経グループが得意としてきたデータや情報を活用したビジネスがより進んだ状況になっていくはずです。日経リサーチとも協力して、この流れをより大きくしていきたいですね。
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【略歴】
2000年日本経済新聞社入社。主にデジタル分野でのメディア立ち上げや運営に従事し、2010年の電子版創刊からはデータマーケティングの中心人物として、日経電子版の会員基盤である「日経ID」の企画・開発に携わるとともに、顧客データの分析やデータドリブンの普及活動を推進。メディアにおけるデータ活用やオーディエンスエンゲージメントの向上に取り組んでいる。今年4月より現職。

 
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