株式会社日経リサーチ

企業における事故・倫理コンプライアンス問題への対応戦略

1.はじめに
 前世紀末1999年、茨城県東海村の核燃料転換工場で発生した臨界事故(図1参照)は、一般市民にも大きなインパクトを与えた。
 
図1
図1 1999年に発生した東海村JCO臨界事故の発生源、沈殿槽の外観
(バケツから注いだ硝酸ウラニルが臨界に達した)(1)
 この事故と相前後して、患者取り違え(医療)、乳飲料汚染(食品製造)、リコール隠し(自動車製造)、牛肉偽装(食肉加工)、列車衝突・脱線(鉄道)、ニアミス(航空)、ロケット打ち上げ失敗(宇宙)などが発生し、さらに、2003年に至ると、高炉爆発、工場火災、検査偽装、配管破損など大規模な事故・コンプライアンス問題が様々な産業界で連続して発生した。これらは表面的には、作業者のエラーや規則違反が原因となっているようにみえるが、経営・管理層が推し進めた収益向上に直結する人員削減や設備投資抑制、経験豊富な技術者の大量退職、安全体制の緩慢な後退、スケジュール優先の経済状況、規則やルールの形骸化などの問題が浮かび上がる。
 このような組織風土・文化に根ざした事故を、英国のリーズンは「組織事故」と呼び(2)、事故防止の観点から「安全文化」が提唱されるに至った。また、米国で発生したエンロンやワールドコムの経営破綻により制定されたSOX法が日本にも導入され、日本版SOX法として会計検査制度の充実と内部統制強化が図られてきた。本稿では事故防止戦略は他に譲り(3)、企業における倫理コンプライアンス問題に焦点を当て、その防止戦略について考察したい。企業における倫理コンプライアンス問題の解消を可能にするには、企業内部の人間の関係性に着目するばかりでなく、組織の風土・文化をうまくコントロールするなど、できることから小さな変革を起こすことが肝要である。
2.企業におけるコンプライアンス問題の現状
 2008年の日本版SOX法の導入により、企業の会計検査や内部統制は格段に強化されることになり、企業は会計監査法人の監査証明を受けた内部統制報告書の提出を求められるようになった。すなわち、経営陣が自らの内部統制が健全に機能していることを評価した報告書を有価証券報告書とともに金融庁に年一回提出する義務が課せられた。このように制度上はコンプライアンス防止の仕組みが整えられたが、図2に示すように、企業の不適切会計に限っても総数的には減るどころか増加を続け、近年は横ばいの状況である。
 
図2
図2.企業の不適切会計の開示件数年度推移と2018年度の内訳(4)
 2008年以降も会社法の改正により、社外取締役選任の要件厳格化や委員会設置会社の創設などに加え、公益通報制度(外部・内部)が整えられるなど、制度的な充実が図られたが、不正やコンプライアンス問題は依然として収まる傾向を示していない。
3.組織としての普段の取り組みによる「倫理文化」の醸成を
 このように企業におけるコンプライアンス問題の防止が進まない背景について考えてみたい。まず、コンプライアンス違反は現場従業員だけの問題ではなく、部門間の利潤競争や経営不振が背景にある場合、中間管理職や経営陣までがその実行に加担する可能性があることである。いわば組織全体の問題であることを認識すべきである。
 事故防止戦略のキーワードが「安全文化」であるなら、コンプライアンス問題に関してもこれを発生させない企業の文化、すなわち、「倫理文化」を創りあげることが求められる。
 したがって、企業の基本理念として、倫理や誠実性に基づく価値判断ができるようにトップが率先して取り組む(すでに会計監査のポリシーとして導入されている)ことは勿論、中間管理職も日ごろの業務の中でこの理念を尊重し、愚直に不正や不祥事を起こさないように従業員に指導していくことが必要である。また、従業員も何らかの不正に気がついたり、不正を強要されたりするようなことがあれば、内部通報などの措置を取ることが求められる。このような取り組みに関しては、2010年ころから多くの企業が仕組みを構築しているほか、縷々教育もなされてきている。しかしながら、一向に収まる傾向が認められないのはなぜであろうか。
 これには、すべての人が持つ正常性バイアス(Normalcy Bias)が係わっていると考えられる。すなわち、人間は今自分が直面している状況について、ごく普通のありふれた事案であり、問題となる「コンプライアンスに係わるようなものではない」という認識を持つ傾向が強いことが関係している。しかしながら、心の奥底では、もしかすると「危ないかもしれない」という懸念は十分感じていることが多い。
 組織にかかわる全員がコンプライアンスの問題から逃れるためには、図3に示すような行動を取ることが求められる。
図3
図3 些細な問題であっても正しい判断を行い、それを積み重ねることで「倫理文化」を醸成する

 すなわち、どんな些細と思われるような問題であっても身近に相談できるアドバイザー(専任職あるいは中間管理職が兼ねてもよい)を置き、正しい判断と対処に導く「仕組み」を整備し、職場全体で地道な取り組みを積み重ねていくことにより、そのような習慣を根付かせる。「これくらいはいいだろう!」という意識が、これまでも大丈夫だったから今度も大丈夫という「前例主義」もあいまって、逡巡の繰り返しにつながり、どんどんエスカレートしていく。これまでにも些細な問題だと思われていたことが、後に重大な事態に繋がる事例が多く、きちんと上司に報告して対処してもらうことが自らの責任を逃れるすべとなる。一度、「これくらいはいい」と認められたり、見過ごされたりすると見て見ぬ振りが起こり、深刻な状態に陥ってしまう。更に、一度、踏み外した道は修正するのに多大なエネルギーを要する。このようなことが続くと、ある日突然、外部の目に触れたり、不適合が起こったりすることによって、問題が発覚し、崖を転がり落ちて、場合によっては倒産や廃業に至ることになる。
 したがって、正しい懸念を共有し、小さなことでも正しい判断と対処を積み重ねて行くことで、組織全体で誠実で納得性の高い「倫理文化」を築き上げることが、遠回りのようで、コンプライアンス問題から逃れる近道かもしれない。

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(1)社団法人茨城原子力協議会 原子力広報「あす」No.101 1999年11月号
(2)James Reason″Managing the Risks of Organizational Accidents″ Ashgate1997
   (邦訳「組織事故」塩見監修、高野・佐相翻訳 日科技連出版社 1999)
(3)安全工学会編「安全工学便覧(第4版) 」Ⅳ編3章安全文化 コロナ社 2019
(4)https://blog.fss.jp/?p=5569 (東京商工リサーチ調べ)
高野研一氏 高野 研一
慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科
教授 工学博士


【プロフィール】
■略歴
1955年  神奈川県生まれ
1980年  名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了。
(財)電力中央研究所入所  人的過誤事象分析、安全文化診断、安全文化醸成方策、企業変革支援などに従事
1995年  マンチェスター大学 Visiting Research fellow
2003年  早稲田大学非常勤講師
2007年  慶應義塾大学先導研究センター教授
2008年~ 現職


■著書
『信頼性ハンドブック』『ヒューマンインタフェース』『組織事故』『保守事故』『産業安全保健ハンドブック』『安全の百科事典』『事故・災害事例とその対策』『人間工学の百科事典』
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