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コロナ禍で一気に進むヘルスケア業界の主役交代

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日経バイオテク編集長
坂田 亮太郎氏

 

米ジョンズ・ホプキンズ大学が提供しているCOVID-19 Dashboardのデータから、全世界における新型コロナウイルスの感染確認者は4月22日12時20分時点で5億794万人。その2日前は5億613万人だったから、僅か2日間で感染者は全世界で180万人増えたことになる。死者も4月22日時点で621万人。その2日前は620万人で、この間に7400人以上が亡くなられた 。コロナに対する関心は、日本では国内の感染状況が落ち着いていることもあり、ニュースバリューは少し落ちているが、引き続き世界では大変な状況に変わりはない。
バイオ業界を代表するメディアに属する者として、このコロナ禍はバイオテクノロジーの底力が再認識された2年間だったのではないかと思っている。それは、感染状況を把握するためのPCR検査や抗原検査、あるいは感染者の命を守る治療薬、また私達の仕事や生活を元に戻すために欠かせないワクチン、こういったものがすべてバイオテクノロジーに基づいて開発されているからだ。したがって、もし人類がバイオテクノロジーを持っていなければ、この新しいウイルスに打ち勝つことができなかったかもしれない。それくらいの危機意識を持っている。

コロナ禍で起きたヘルスケア業界の大変動

この2年間の業界変動を、まず業績データから紹介したい。

「日経バイオテク」で3月に特集を組んだが、2021年度における全世界の大手製薬企業の医療用医薬品売上高の第1位はファイザーだった。2020年度は7位だったが21年度に一気に首位に浮上した。この要因はやはりワクチンの影響が大きい。ドイツのビオンテックとファイザーが共同開発したワクチン「コミナティ」(トジナメラン)は、この1製品だけで4兆円以上の売り上げを達成した。ファイザーはこれまで売上高368億ドル(4兆円)の会社だったが、僅か1年で売上高813億ドル(9兆円)に倍増する原動力になった 。このぐらいの規模の会社の売上高が1年で2倍になることは基本的に起こり得ないが、コロナと言う全世界的な危機に対して適切な商品・サービスを提供した会社が一気に業績を伸ばした事例といえる。この売上高ランキングで、日本企業のトップである武田薬品工業は世界トップ10の座から陥落してしまった。

ドイツのバイオ系スタートアップ、ビオンテック

ドイツの ビオンテックは2008年創業という、10年あまり前に立ち上がったスタートアップだ。従業員はまだ1300人しかいないが、19年にドイツで株式上場し、株価は4月20日時点で159.74ドル、時価総額は393億8300万ドル(約5兆円)に上る。日本の基準では大企業の部類に入るが、従業員1000人程度の会社が、時価総額5兆円を超えていることが、ヘルスケア業界の変動ぶりを示すものだと思う。日本企業の時価総額ランキングは日本取引所が毎月末に発表しており、3月末時点の1位はトヨタ自動車の36兆円だったが、この時点で比較すると、ビオンテックは創業から僅か10年ほどで、セブン・アンド・アイホールディングスや東京海上ホールディングスなど、数万人規模の従業員を抱える会社と同等になる。更に、昨年9月、株価が一番高かった時の時価総額は約9兆円だったので、リクルートやKDDI、ソフトバンクグループなどと肩を並べていた。

ビオンテックのカタリン・カリコー上級副社長は22年度の日本国際賞(Japan Prize)を米ペンシルベニア大学のドリュー・ワイスマン教授と共同受賞した。彼女は20~30年前からメッセンジャーRNA(mRNA)に注目して地道に研究をしてきた。それがコロナ禍で一気に花を開いた。一番印象的だったのは 、当初mRNAに関する論文を出したときには自分達も驚くほど反響がなかったと発言していたことだ。

10年で世界的知名度を得たモデルナ

ファイザーと並んでmRNAワクチンを開発したモデルナはアメリカのスタートアップで、今年で創業10年目になる。僅か10年で世界的な知名度を誇るバイオ企業になり、今や日本では高校生でも、もしかしたら小学生でも知っているかもしれない。現状、売っているのはほぼ「スパイクバックス」というワクチンだけだが、その2021年の売上高は176億7500万ドル(約2.3兆円)になる。この会社がとても面白いのは、ITを駆使した新しい創薬にチャレンジしていることだ。ホームページには We believe mRNA is the "software of life." と書かれている。いわゆる低分子化合物を使った伝統的な創薬とは異なり、ゲノム情報やウイルスのゲノム配列を解読してから一気に治療薬やワクチンを開発する、という新しい手法に取り組んでいる。

モデルナの4月20日時点の株価は152. 72ドル。コロナ前の株価が18.89ドルだったので、この2年間で8倍以上に上昇した。昨年9月には株価は400ドルを超えていたから、その時点では約1年半で20倍以上になっていたわけだ。時価総額は4月20日時点で623億6700万ドル(約8兆円)だから、日本の時価総額ランキングと比べると、任天堂や日本電信電話(NTT)などと肩を並べている。株価がピークだった昨年9月時点の時価総額は約20兆円だったので、日本ではトヨタ以外の全ての企業より高かった。バイオ分野は大きな新薬を一発当てると、バリュエーションが高く評価されるのだ。

AI創薬と水平分業によるスタートアップの台頭

AWS(アマゾン・ウェブ・サービス)などで活躍していた研究者で、昨年、塩野義製薬のチーフ・デジタル・オフィサーに就任した堂田丈明さんによれば、モデルナの躍進の裏にもAIがある。計算アルゴリズムで最適なmRNA配列を特定して短期間のうちに医薬品を生成する手法を確立しつつあるようだ。患者から新しい変異株が発見されると、それをNGS(次世代ゲノムシークエンサー)で解析する。だいたい2時間ほどでウイルスのゲノム配列が全て分かり、そのゲノム配列さえ分かれば、モデルナはおよそ1カ月以内に臨床試験を開始できるまでに開発スピードを上げている。AIを活用しており、既存の創薬とは全く異なるやり方だ。

医薬品の開発は通常、まず基礎研究に2~3年かけ、良い化合物ができたら、培養細胞や動物を使って非臨床試験を行う。それが3~5年かかる。その後、動物でも効果が高く、安全性も高いと分かれば、人における臨床試験をやり、第一相臨床試験、第二相臨床試験、第三相臨床試験と徐々に規模を拡大していくが、この期間が3~7年。その臨床試験で上手く成果が出れば、日本では厚生労働省、アメリカではFDAに申請をして、1~2年経てば認可が得られ、市販されて患者のもとに届けられる、というプロセスとなる。

つまりこれまでの製薬業界においては、新薬を開発するには短くても10年近い期間がかかり、資金も1000億円程度必要だと言われている。

ただ、現在の製薬業界は色々な分業体制が確立している。例えば、動物における非臨床試験を得意とするCRO(医薬品開発受託)やCDMO(医薬品開発・製造受託)と呼ばれる受託検査企業に任せると、臨床試験前までやってくれる。また、臨床試験を得意とするCROもあり、もちろん費用はかかるが、臨床試験を代行してくれる。結果が良ければ、CDMOが実際に製造してくれ、医薬品のパッケージまで作ってくれるところもある。CSO(医薬品販売受託)という営業販売を支援する会社もある。つまり、医薬品の創薬のアイデアさえあれば、CRA(臨床開発モニター)やCRO、CDMO、CSOなどの受託機関を活用することで、小さい会社でも医薬品を全世界で販売することが可能になっている。あたかも電機業界でAppleが自社ではiPhoneを1台も製造せず、中国や台湾の製造会社に委託しているのと同じで、製薬業界でもかなり分業体制、水平分業が進んでおり、モデルナやビオンテック のような従業員数が少なく、自社で工場を持っていないスタートアップでも、世界規模で医薬品を提供できる体制になりつつある。

このように分業体制が整ってくると、既存の製薬企業としては新薬のアイデアや新規化合物を自社で開発するよりもスタートアップと組んだ方が早いため、日本国内でもバイオ分野での提携事例が増えてきた。数年前までは年間10~15件ほどのペースでスタートアップと製薬企業とのディールが行われていたが、直近5年間では25件を超える年もあるほど増えている。つまり、こうしたコラボレーションはこの業界にとってもう欠かせない状況になっている。スタートアップの上場も増えており、昨年は4社がIPO(新規上場)を果たした。

デジタルセラピューティクスが変えるヘルスケア業界

製薬だけでなく、広くヘルスケア業界を俯瞰してみた時、デジタルセラピューティクス(DTx) が大きくこの業界を変え、次のモデルナやビオンテックが出てくるのではないかと期待している。

今、薬物以外でも人体に介入できるのではという考えから、色々なプログラム医療機器(SaMD=Software as a Medical Device)が猛烈な勢いで開発されている。その1つがCureAppという会社が開発した、ニコチン依存症に対する禁煙治療補助システムで、厚生労働省から承認を受けている。同社は日本で治療用アプリの先頭を走っているスタートアップで、上場間近だと思うが、こうした会社が続々と出てきている。SaMDも医薬品と同じように、きちんと臨床試験をして、人に使用した時のデータを集め、それを基に厚生労働省に薬事承認を求める必要がある。もちろん、承認を受けるには臨床試験などコストと時間もかかるが、承認されれば、患者が保険償還されるため 、比較的高額でも提供できるのではと期待されている。

一方で、SaMDに対してNon-SaMDと呼ばれるものもある。これはプログラム医療機器には該当せず、承認を得るまではいかないが、いわゆる健康増進に資する用途で、様々な機器が開発されている。例えば、Apple Watchなどのウエアラブル端末を使い、所定の時間になったら服薬を促したり、患者の日々の行動をモニタリングして活動期と非活動期を分類したり、といったこともだんだんとできるようになってきた。

そうした業界の動向を受け、2022年3月に日本デジタルヘルスアライアンス(The Japan Digital Health Alliance)という研究組織が立ち上がった。略称はJaDHA(ジャドハ)で、業界団体ではあるが、デジタルヘルス関連のスタートアップや製薬企業が一堂に会し、デジタルセラピューティクスの普及を目指し、活動していくことになっている。JaDHAは前身となった組織が2つある。1つはアステラス製薬、塩野義製薬、大日本住友製薬(22年4月から住友ファーマに社名変更)、田辺三菱製薬の大手4社が組んだ「製薬デジタルヘルス研究会」で、19年10月に立ち上げられた。もう1つは「日本デジタルセラピューティクス推進研究会 」で、デジタルガレージ、アステラス製薬、アイリス、サスメドなど、デジタル系のスタートアップが主軸で立ち上げた組織だ。厚生労働省から業界として一本化して欲しいと申し出があり、新たにJaDHAが設立された。

なぜデジタルヘルスがここまで注目されるようになってきたかというと、今、医薬品の開発が難しくなっているからだ。10年間、1000億円かかる、いわゆる化合物を使った医薬品の開発が困難になる中、最近のデジタル技術を使えば、医薬品の効果をより高められるし、医薬品を使わなくても人の健康を増進したり、治療に役立てたりできる可能性がある。ということで、デジタルヘルスは拡大している。

このように新しい産業が湧き起こってくるときには、早い段階、黎明期から、情報収集することがカギだ。情報をきちんと入手し、自社の事業戦略に生かして行くことが大事だと思う。

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